2018年11月14日: セコガニ解禁

【ソリューション事業部 ミヤケ】
昨日、業者さんからメールが届いた。
今日、福井からセコガニが届く。
夏場に予約を入れて約3か月、ようやく我が家にやってくる。
かれこれ今年で3年目。
個人的に年中行事となっている本の爆買いによって貯まった
楽天ポイントの使いどころとして、セコガニ(1kg)を購入している。
というわけで我が家では近年、
「セコガニはポイントで手に入れるもの」が定説となっている。


セコガニとはもはや釈迦に説法とは思うが
ズワイガニの「メス」を指す。
地方によって勢子ガニ、香箱ガニ、コッペガニ等と
呼び名が変わるようであるが、
ズワイガニが間人ガニ、松葉ガニ、越前ガニ等と
複数の呼び名を持つことと同様、
結局のところズワイガニの「メス」なのである。
冬の味覚と言えば「カニ」というのは想像に難くないが、
この11月に先陣を切るのがセコガニである。
高価であるズワイガニ(オス)の漁獲高が減少しないよう、また、
資源保護の観点からセコガニは11月上旬から翌年1月初めまでと
解禁時期が限られているこの時期にしか味わえない貴重な海の幸。
さりながら、価格がベラボーに安い。
高価なオスの10分の1にも満たないほどに安い。なぜか。
これまた釈迦に説法であるが、カニ食う人々はおもに
オスにはその身(カニ肉)に価値を求め、
メスには腹に抱いた卵(内子・外子)に価値を求めるのである。
つまり、
オスはしっかり大きくなるまで時を待たねばならず、
一方でメスは、卵を抱いた段階で旬となる。大きさはオスほど重要視されない。
ゆえに
ズワイガニは貴重にして高く、
セコガニは貴重でありながら、安い。
我が家ではここ10年以上、カニ鍋をしていない。
カニと言えばもっぱらセコガニである。
理由は金銭的なものよりもむしろ価値の置き所で、
卵と味噌さえ味わえれば、そこで満足してしまうのである。
茹がき済みのセコガニ達を冷蔵庫で冷やし、夕飯時、
大皿に持って食卓に置くとおもむろに解体作業が始まる。
まずは外子をニヤニヤしながら丁寧に殻ごと外す。
甲羅を下にしてカニのお腹を右脚、左脚の付け根に手をやり
パキリ、パキリと甲羅からはがす。
甲羅の上には大量の味噌と鮮やかな赤い内子。
お腹の裏側にもみっしりとへばりつく内子。
お腹に付いている内子と味噌を丁寧に甲羅の上に乗せていき、
これ以上はもうほじくりだせないというところで、
いよいよである。
ズズズ、、、ズズズ、、、と口で奥にある味噌をバキューム。
味〜噌〜 味〜噌〜 ド〜味〜噌〜♪
味噌の旨みが口いっぱいに広がり、
今年もとうとうやってきた冬の味覚!と実感するが、
決して脳内BGMに槇原敬之「冬が始まるよ」は流さない。
食卓にはただ、パキリパキリと殻を割る音が響くのみ。
甲羅に小山となった内子と味噌の上に、
殻についた細い腕に絡んだ外子を丁寧に外し、乗せていく。
これが結構面倒くさいのだが、あきらめて
外子だけ先に口に放り込んでしまうようなことはしない。
味噌の旨み、内子の濃厚な味わい、外子のプチプチとした食感、
これらを三味一体で満喫するためには手を抜いてはいけない。
さて、これら作業が済んだところで
眼前の甲羅上の主役達をうっとりと眺める。が、
決して「まるで宝石箱や〜!」なんて軽率な言葉は発しない。
これを睨みつけながら、
お腹と脚の身をすするのである。
気持ちが完全に卵と味噌に向いているため、
身に対しては大きな期待をもつことはなく、ただただ啜る。
脚の太い部分でも小指ほどにも満たないので、
味わうというよりも殻から身だけをひたすらバキューム。
ただし、小さくとも脚の本数や関節の数等は
オスの大きいのと同じだけあるので、かなりの作業量となる。
食べ飽きたときは箸の先等でほじくり、押し出して
小皿にまとめておく。
カニ身を完全に啜り切ったところで、
ベタベタになった手を洗い、酒の用意。
そう、集中力を要するセコガニの解体作業には、
断酒を持って臨まなければならないのである。
さて、上のような作業を経て
5〜6パイ分のセコガニの卵と味噌に舌鼓を打つ訳であるが、
もはやこの時点ではクタクタになっている。
少し口に運んで「うまい!」と心は小躍りするも、
疲れ切ってて進むのは酒ばかり。
おまけにカニ身を啜っているうちに妙に満腹になっていたりするのである。
一昨年は結局、次の日の晩に楽しみを持ち越したのであるが、
昨年は明くる朝、
開高丼に倣って白御飯の上に卵と味噌を山盛りにして食べた。
暴力的な美味さであった。
今年は酒の肴と丼、
どちらもその日の内に楽しんでやろうと策を練っている。
そして我が家のカニシーズンは例年、11月で終了する。

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