【エクスショップ タケナカ】
守屋さんからのパスを頂きまして
2度目のdaブログです。
まず始めに、ご報告がございます。
知っている方もいらっしゃいますが、新たな家族が増えました!!
こう言うと多くの人が、妊娠!?おめでとう!!と言ってくれるのですが、
妊娠ではございません。
命名:コナ
生後3か月です。
やんちゃ盛りでなんでも噛んでしまいます。
乳歯なのでかなり痛いです。
でも子犬の匂い癒されてます。
家族紹介はこれくらいにして、本題に入りたいと思います。
死ぬまでにしたい事の1つが日本100名城巡りなのですが、
今回は大河ドラマの影響も有り、真田丸跡地を巡ってみました。
真田幸村とご存知の方も多いかと思いますが、
諸説ありますが、生前は幸村と名乗った事が無く、実は真田信繁さんです。
幸村の名が見られるようになったのは夏の陣以後、60年近く経た、寛文12年(1672年)に成立の軍記物語、
『難波戦記』(万年頼方・二階堂行憲の著)がその初出と判明していて、
時代が経つにつれ「幸村」の名が広まっており、江戸幕府編纂の系図資料集である
『寛政重修諸家譜』や兄・信之の子孫が代々藩主を務めた松代藩の正史においても「幸村」が採用されております。
死して尚、語り継がれる漢!!憧れます。
そんな幸村さんの縁の地に行って参りました。
大河ドラマを楽しみにしてる方もいらっしゃるかと思うので、
内容、歴史は割愛させて頂きます。
まずは三光神社。
この神社は大阪市天王寺区玉造本町の宰相山公園にある神社で、天照大神・月読尊・素戔嗚尊を祀ります。
鎮座地の丘は宰相山とも真田山ともいい、かつては大坂城の出城が置かれ、
大坂の陣のときには真田幸村が大坂城から当地までの抜け穴を掘ったといわれていて、その跡が残っています。
抜け穴はこんな感じです。
次に向かったのは、宰相山公園から西に歩くとある「心眼寺」。
ここは大坂夏の陣の数年後に、真田幸村・大助父子を弔う意味で建てられたのだそうです。
「真田幸村 出丸城跡」と書かれた石碑もありました。
そして扉には六文銭。真田ですね。
記念碑も建っておりました。
最後に訪れたのは安居神社。
ここは真田幸村終焉の地。つまり真田幸村が討ち取られた最期の地です。
場所は天王寺区で、最寄り駅は地下鉄の四天王寺前夕陽ヶ丘。
この周辺エリアは大阪市の中で、特に寺社仏閣が集まっているエリアでもあります。
真田幸村公之像。享年49ですから、それくらいの年恰好でしょうか。
手甲のところに金色の六文銭があります。
そして像の隣にあったこれが、幸村戦死跡之碑。
そして討ち死になされた場所でございます。
この松の木の下でと思っていたら、、、、
なんとこの松の木は2代目だそうです。
安居神社は徒歩では、少し遠いですが、
いい運動になりました。
今では考えられない壮絶な戦いの地が、
こんな街中にあるなんて、考えもしませんでした。
皆様の地元にも、いろいろな方の縁の地があるかも
しれませんよ。
歴史に触れられて大満足な1日でした。
100名城も頑張ります。